観劇以外

もはやタイトル詐欺のあなぐま(anagmaram)別館。本館→https://anagmaram.hatenablog.com/

疲れたときは本に埋もれる

このところ、急に疲れを自覚した。
無理もないかなとは思う。

5月3日がエリザ帝劇のまりおくん楽だったので、そこがわたしの中ではなんとなくひとつの区切りになってもいた。
約1ヶ月間の東京公演をどう走り抜けただろうかって、無くなってしまった春を考える時間。
そこが終わったことで、完全に、名実ともに「あとの世界」にやってきてしまったような感覚がある。
もちろん、本来ならばそのあと大阪・名古屋・福岡と公演は続いたわけだけど…。


最近のインターネット、見ていてとてもしんどい。
なんでまぁそんなことに、ってなるほどの炎上をしている、著名な業界の人がいらっしゃる。
発言にまずいというか迂闊なところがあったのは事実だと思うし、その後の対応も「もうこりゃあかん」という燃え方なんだけど、
だとしても、だよ。
自分が好きなものが、おそらくはよく知りもしない、興味も持たないような人たちから「発言に誤謬のある人間が属する業界は死んでよし」みたいな勢いでゴーゴーに燃やされる様子、本当になんなの?って思った。
そういうの、積極的に見ないように、普段ならするんだけれども、そうもいかぬ…と思って見たのがまずかったかな。
いろんな方向への「なんなんだろう」が残る。



あとは、本来ならば「楽しくて面白くて好き!」っていうマインドだけで向き合っているはずの対象が、
それを介してどことなく”試されている”ような様相を呈するようになったというか、
思想信条のうっすらとした対立構造みたいなものを生じさせるようになった…ように思えるのも、今のしんどさの一因かなぁと思っている。


なので、ちょっとしばらく距離を置くというか、徹底的に別なことを考えようと思って、土日はひたすら本と漫画に逃げていた。
当事者で在り続けることはかんたんじゃないな、と思う。この先もずっとずっと長いだろうから、自分で好きなときにフォーカスする度合いを切り替えられるようにしておくの、とっても大事そう…。


何回かツイッターでおすすめしたことがあるんだけれど、「町でうわさの天狗の子」は本ッ当に良いよ。

いろんな感情が、ぎゅうぎゅうに詰まっている…。
気心の知れた友人と過ごす放課後、入学やクラス替えの落ち着かない不安な気持ち、わかりやすくてまっすぐな片思いの行く末、憧れのクラスメイト、どんな時も隣にいてくれる幼馴染。
序盤は女子高生のほんわかとした”日常”の悩みや喜びがいっぱいに描かれていて、巻数が進むと物語の主題がぐんとシリアスに全面に迫ってくるんだけど、でもその主題は実はずっと通奏低音として一話目から流れ続けていて…それがえも言われぬ「切なさ」を、生み出していると思う。
孤独の捉え方が、あたたかくて柔らかいのにとてもエッジィな気がして、その矛盾する感じがたまらない。
ノローグの切れ味がすごくて、読んでいて目が動かせなくなるページが多々ある。秋姫はかわいくて、瞬ちゃんはかっこいいよ…。

通しでだぁっと読み終えた後、わかりやすく青春スイッチが入ったので今度は「夜のピクニック」を読み、同じ作者のエッセイを読む。
恩田さんの長編が読みたいなー。新作なにか出ないかなー。

夜のピクニック (新潮文庫)

夜のピクニック (新潮文庫)

  • 作者:陸, 恩田
  • 発売日: 2006/09/07
  • メディア: 文庫
隅の風景 (新潮文庫)

隅の風景 (新潮文庫)

  • 作者:恩田 陸
  • 発売日: 2013/10/28
  • メディア: 文庫


日曜日は注文していた十二国記が届いたので、ひたすら読み進めた。
www.shinchosha.co.jp
「丕緒の⿃」「図南の翼」「華胥の幽夢」「黄昏の岸 暁の天」まで昨日読み終わって、今は魔性の子を読んでいる。
魔性の子、これ最初に読んだらどんだけ怖かったろうかと思う…ただのホラーやんけ…!
背景がわかっていると、同じ描写をされても得られる恐怖感って大きく変わるんだな、というのは新鮮な発見だった。
種明かしをされているから怖くない、ってことか…やっぱり得体のしれないものだからこわい、それがホラーなのかな。
フラグのように「残穢はぜったいに読まないからね!」と言い続けている。



刀ミュ、パライソの残り全公演が中止になった。
上演できないだろうことはとうにわかっている、覚悟はできている、というステータスだったとしても、
それを事実として受け止めなければならなくなった瞬間のつらさはやっぱり減らない。何度経験しても、新鮮に辛い。
この先に続けられる言葉、今は思いつかなかった…。つらい、ですね。