観劇以外

もはやタイトル詐欺のあなぐま(anagmaram)別館。本館→https://anagmaram.hatenablog.com/

優等生の書く読書感想文みたいな文章しか書けないな

と、ずっと思っている。これはとっても人を面食らわせる出だしだなと思うけれども、なんかとってもそうだな、と常々感じている。深夜なので何を書いてもいいと思っている往年のブログの使い方をしています!


国語の成績はいつだって良かったけど(※インターネットで文章を書くオタクはたいていそう言う)、作文に関しては褒められた記憶がない。少なくとも小学校~中学校の間に、文章で褒められたことは特にない。
自分でも、自分が書く作文「つまんねーな」と思っていたことを、実はよく覚えている。

こう書くのがたぶん正解なんだろうな、とりあえず冒頭で問題提起して、自分の中でそれっぽく考えて、最後に結びっぽいものを付け足すと形として完成するな、と思うからそのように書くんだけど、なんかそれで血の通った文章になった感じはなくって、完成したものを読んでて、自分でもつまらないなぁと思っていた。無個性っていうか。圧倒的いい子のフリをした変に破綻のないそれっぽい文章が出来上がって逆に不気味というか。
…というかなんでそんな年から厭世的な作文術(?)を身に着けていたのだろう…?遠足の思い出やらを書いていた低学年の頃はさすがに違ったと思うけど、4年生頃にはもうこういう作文を書いていた記憶がある。
たぶん成績をもらう上では別にそれで問題なかったんだろうけど(先生としても採点は楽そうだよね)、かといって特段褒められたり賞をもらったりできないのは比較して悔しかったし(ふたつ上の姉はたいそう作文がうまかった)、でもこれはもう、そういうもんなんだろうなぁと思っていた。


閉じた古いブログから数えると、ひたすら観劇の感想を書き続けて8年目になるんだけれど、前よりは流石に、適切に、という意味で「うまく」書ける場面は増えた気はする。相変わらず字数は削れないのが最大の弱みだけれど、少なくとも破綻したものは書いていないと思う。
だけど語彙が特に豊富なわけでもないし、言い回しに個性があるわけでもない。それはすごく感じる。
感想ブログを書く上で「読む人をなるべく不快にさせない」という不屈の誓いをひとりで勝手に立てているのだが、しかしそのためなのか、書くものに「優等生くささ」がずーーっとあふれているように本人としては感じられており、つまり生み出すものが無個性な部分はたぶん、本質として変わってないように思うのだ…。うう…。
(その字数の長大さが個性と言われると、それはそれですみませんという気持ちになるんだけど…いやでも事実、そうなのかもしれない…!笑)

わたしは明らかに、目をぐっと引きつけるような名文を生み出せるタイプではないと思う。そういう才能はまじでない。
しつこさで書きたいことを書き留める、その継続力になら、自信が持てるような気がするけど、強みはそのしぶとさくらいじゃなかろうか。
なので、閃光を放つようなまぶしさがありつつ、骨格もしっかりとした名文にインターネットで出会うと、うわ~すげえな~!と思うと同時に、そういうものが生み出せなくて悔しいなと思う。面白い文章を書ける人、世の中に本当にたくさんいてすごい。


でもこうやってうだうだぐじぐじ言い始めても、結局は単に「書く」ことがすごく好きなので、うまくなくても楽しいし書きたいから書く、そこに帰着するのである。
…いや、じゃあもうそれでいいじゃん!?なんでこの日記書いた!?
そして、感想ブログに書く方の文章は褒めてくれる人もいて、それはとてもとてもありがたいです。嬉しいです。
書き残した「作品の素晴らしさ」が時間が経ってから新しく誰かに伝わるのは、すごく嬉しいのです。書いたことに意味があったなと思える。意味不明な卑下だけだと気分が悪いので、ちゃんともらった褒め言葉はうけとっています、をここで表明したかった!
…そう結んだことにより本格的に何が書きたい内容なのかわからなくなったけど…、ええと、つまりは文章もっとうまくなりたいな!

でも、書いても書いても届いた気がしないのは、それはそれで、楽しいのかもしれない。
なんかその感覚が18歳頃と変わってないのはどうなんだ…と思わずにはおれないけど、でも文章書くのってやっぱりすごく楽しいんですよね。
ほんとこれ、なんでなんだろう。
(結論:楽しいのが一番、という話でした。まじで世話ないな!)