観劇以外

もはやタイトル詐欺のあなぐま(anagmaram)別館。本館→https://anagmaram.hatenablog.com/

人柄って、滲むよね

また趣味の話を書きます。ブログを使い分ける意味とは???



この間の週末に、ものすごく久しぶりに、いわゆる「俳優のファンが出かけていくイベント」らしいイベントがあった。(推しのAbemaの冠番組のファンミーティングがありました)
ゲストに招いた気心の知れた俳優仲間と、和気あいあいとトークを繰り広げる推しをたっぷり堪能して、はぁとにかく楽しかったなー!と満足度100%でニコニコ笑顔で帰宅したんだけれど、
この気持ちの楽さ加減というか、ファンをやっているうえでしんどさが全くないのはなんでなのかなぁ…みたいなことをぼんやりと家で考えていて、またひとつ気づいたことがあった。


なんというか、応援している人の「発言」に、いち観客として傷つくことが、まずないのだ。
今のはどうなのかな…みたく、ヒヤッとしたりすることも全くない。
例えばだけど、イベントで盛り上がりすぎて少し言葉遣いが乱暴になったな、というような時も、それが後輩であろうが誰であろうが「ごめん、〜って言っちゃったね」等のフォローをその場ですぐに入れるし、
そもそも発言する時に、世の中にはいろんな立場の人がいる、ということがあらかじめ十分に考えられてから言葉が選ばれていることが伝わる。それがまずすごい。
ものすごく固い言い方をすれば、ポリティカルコレクトネス、にとても配慮がなされている発言なのである。
ご本人はいわゆる男らしくいることに美学を感じるタイプだし、それを踏まえてどう行動したいかを決めている部分はきっとあるのだけど、
そういう性別に立脚した特徴としての「らしさ」を大事にしたとて、それ以外のものを否定したり傷つけたりするとはやはり限らないよな、と、なんだかホッとするような思いにもなる。
(というか、推しの人はポリコレという言葉を認識していない可能性の方が高いんじゃないかと思う。たぶん。わかんないけど。)


これはわたしが勝手に感じていることなんだけれど、推しの人のその態度、いわゆるattitudeは、
「自分は表に出ている人間なのだから」という自覚や責任感だけによるものじゃなくて(勿論そこのプロ意識はもちろんすごくあるお方だけど)、
もっと素朴な「人としてこうありたいな」というような、ベースにあるなにかに端を発しているような気がする。
「人を嫌な気持ちにさせることはなるべくならしたくないよね」って、ごくシンプルに思っている結果であるというか、なんというか。


ざっくりいうと、とにかく「人柄が良い」ということにまとめられるような気がするんだけど、
SNS/リアルいずれでも発言にハラハラすることがなく、ただ安心して話を聞いていられるのって、
それだけでもファンにとっては、応援を続けられるか否かのものすごく重要な要素になるように思うので、
この点、本当に得難い推しであられることよ…としみじみと感じ入った。


見えているものが全てでは無い、というのが当たり前である前提のもとに、ではあるのだけど、
でもその見える範囲で安心していられるのって、こちらにとってはすごく大事なことだと思います。

わたしはあくまでも、人前に立つ仕事を選んだ上で、その仕事の範疇に限ってこちらに見せられているものがファンとして受け取れる全てだし、見えない部分は見る必要はないと常々思っているのですが、
少なくともその範疇において心配ごとが一切浮かぶことなく、ただ「楽しいなーありがたいなー」とニコニコしていられるのは、ものすごく幸せなことなんじゃないだろうか。


だからこそ、わたしたちに見えない部分でも、とにかく「幸あれ!」と思うのでした。
ご本人にとっての人生が、楽しくて充実したものであっていてくれたらな、と思う。



人柄って、いろんなところに滲むよね、と思ったという日記でした。どうせ滲ませるなら、魅力的なものであってほしいし、かくなるうえは己もそうありたい。(最後だけ突然の武士み)