観劇以外

もはやタイトル詐欺のあなぐま(anagmaram)別館。本館→https://anagmaram.hatenablog.com/

川べりにしゃがむ

「大人になるからには、なるべく普通でいなければならない」と、今よりずっと若い頃はかなり強固に自分に対して思い詰めていたふしがあり、今でももしかしたらそれは根っこの方で抜け切ってはいないんだけど、
だとしても、現時点で想定されうる『普通』から、今の自分は割と外れたところに来ているなぁ、と常々思っている。(そういうふうに思う時点で、気にしている部分も少なからずあるのだと思う。)


でもたぶんその方が良かったような気がしていて、それはなんでかというと、いわゆる『普通』と呼ばれるルートのど真ん中を進んだかもしれないわたしは、きっとそれ以外のルートをなにかあり得ない価値観や様式として、切り捨てたり糾弾していたりしかねないな、と感じるからだ。まっとうであることや正義感で無自覚に人を傷つけまくっていそうで、そんな自分を想像するとひやっとする。
自分が当たり前と思う以外の出来事や人の心の有り様も世の中にはわんさかあるんだと知っていられることは、それだけでかくもありがたい。


最近になって、自分と違う意見を読むのって、一周回ってやっぱりすごく面白いことに思えてきた。
前はもっと潔癖というか独りよがりというか、表には出さないまでも、自分と違う意見に出会うと即・攻撃的な感情を抱きがちだったんだけど、今はだいぶそういうこともなくなってきた。それが年齢が上がったことによる変化なのかどうかはわからないんだけど、もしそうならば、やっぱり歳をとるのも悪くないなと思う。


なんで急にそんな話をしたかというと、巷でうわさの明日カノに少し前からハマっており、金曜0時最新話更新直後のコメント欄の熱さまで含めて「本当におもしれ〜!」と思っているからなのでした。
漫画を読んだ直後の感想が熱く叩きつけられるコメント欄には、価値観、立場、考え方、あらゆる側面でバラバラな言葉たちが一気にどわっと流れてゆく。増水した川の流れか?と思うほど速くてごちゃついて雑多なその流れをあっけにとられて眺めていると、自分の個としてのとるに足らなさを正確に感じられる気がして、そこが妙に心地よいというか、ホッとするような感覚になっている。
同じ物語を読んでこれだけ違う感想が湧くんだから、他人同士なんてそんな簡単にわかりあえるわけないよなぁって、なぜか逆に安心してしまうのだった。
この人は自分と登場人物を重ね合わせてキレてるんだろうなとか、いやその発想はなかったわとか、共感できすぎて自分が書いたんかと思った!…などなど、コメントを読んでるととにかく色んな感情が湧く。そして大多数のコメントは作品への感想にちゃんとフォーカスできているので、読んでてそんなに変なもの嫌なものを読んだ感覚にはギリギリならずに、多様性を体験できる場になっていて、なんというか得難い。面白い。
もっと若い頃の自分だったら、自分と違って腹の立つ方向性の意見を見かけたら、腹を立てていたんだろうなと思ったので、妙なところで感慨深くなってしまったのだった。


せっかちゆえ、待てばタダ!系の仕組みがすごく苦手で、最初はムキー!ってなりながら読んだけど、いったい何が起きてるの?ってのが気になる人はKnockin' on Heaven's Doorの始まりから追ってみると良いかもしれないです。おすすめするか?って言われるとまたちょっと違うんだけど、、無料範囲で読み進めて最新話に追いつきたい人は最初から読み出すとおそろしく時間かかってしまうので、途中から読むといいよ…というのを書きたかったのでした。(最初の方は単行本で買えるんだけど、連載中ゆえ最新話近辺はアプリで読むしかないので…!ちなみにわたしは待ちきれずに最終的に数話分課金した。笑)

漫画が手法としても物語としてもシンプルにうますぎて結果面白いので、そうやって人の心をぐいぐい引っ張れる創作ってやっぱり本当にすごいよなぁ、と嘆息したりもしています。


最初の話に戻るんだけれど、
今の自分が世間的に見て普通なのか普通じゃないのかはよくわからないが、少なくとも自分の価値観で積極的に人をぶん殴るようなはた迷惑なことはたぶんやってないように思うので、
そういう年の取り方をできてそうなことは少し自分を褒めたいと思ったという、そんな日記でした。