観劇以外

もはやタイトル詐欺のあなぐま(anagmaram)別館。本館→https://anagmaram.hatenablog.com/

many of 好きズ

いてもたってもいられなくて、さらっと文章を書いてみる。明日のことを考えると、どうしても落ち着かない!


「好き」という感情には色々あって良いと思う。
あぁ、これぞ!と確信するど真ん中の好きだったり、
じわじわといつのまにか内面を染められていく好きだったり、
殴られたような衝撃と共に訪れる好きだったり、
そんなつもりはなかったのに気づけば目が逸らせなくなっている好きだったり、
本当に多種多様、色々あって良いと思う。


自分の中の原点に向き合っているのか、
新しく出会った魅力に取り憑かれているのか、
ずっと大切に思い続けてきた存在を変わらずに眩しく見つめているのか。
そのタイミングその時々、その人の中にある感情だけが、ただひとつの動かせない事実としてそこに在る。それだけで良い、ということにしておいてほしい。少なくとも私はそうする。

おもねったり遠慮したり、変に隠したりしないで、ただ思うがままに今そこにある感情を大事にできたら、私にとってはそれが一番幸せな気がする。
だから、真っ直ぐに「これが!!!好きなんだよ!!!」をぶち上げている人を見ると、私はすごくホッとします。どこか勝手に励まされる。
そしてその光景に出会った時、心によぎるいくつかの感情を想像して「わかる」と感じることもあるから、その時はそっと陰ながらのエールを送ったりしている。


同じもの(人)を好きでも、同じように好きであるとは、全くもって限らない。
「好き」という感情はなんだかんだ言って大変に個別性の強いものだと思うから、
やっぱりわたしはその「好き」という感情そのものを、ひとり守り育てる孤独な戦いがあるような気がする。(たぶん前にもどこかでこの話は書いた。)
自分の「好き」を誰かと共有するのが喜びになる人がいるように、
その戦いを通じて、自分の中の大切なエリアを守ることが心の支えになる人もいるのです。


私の場合、自分のこのスタイルが蛇蝎の如く嫌われる*1ケースが容易に想像できてしまうので、
合わないときは「もうそっとしといてね、俺のことは見ないでくれよな!」と言い続けることしかできないんだけど。

少なくとも、私は他人の「好き」を規定しようなどとは全く思わない。ジャッジしようとも思わない。私のことも、同じように放っておいてくれたら十分です。



……なんかこうして前提を飛ばして書くと、人によってはすごい「実生活のリアルな浮気かな!?」みたいに受け取られる可能性もある雰囲気に仕上がりますが、
全然そんなことなく、ここまでぜんぶ趣味の話してます。この人ってばいっつもそう。笑


明日はひっさびさのとんでもバカスケジュールをやるので、今日は気合い入れて寝るぞー!!!なんでこんなことになってるんだろー!!!笑
でもなんか「……生きてるー!」って感じするから、私は本当にこういうとこがいつまで経ってもダメ!笑

*1:るろ剣京都編参照