観劇以外

もはやタイトル詐欺のあなぐま(anagmaram)別館。本館→https://anagmaram.hatenablog.com/

【読書】「オリガ・モリソヴナの反語法」感想

あのあとご飯は炊きませんでしたが3連休、カレーは作りました。志の低さには定評があります!

唐突ですが本の感想書きます!といっても再読なんだけど。

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

最初に読んだのは多分3年くらい前。ずっと再読したいなと思ってたことを暇すぎた連休の途中にふと思い出し、電源が落ちっぱなしだったkindleを起動して読みました。再読なんだけど、やっぱハチャメチャに面白かった。


物語の舞台は、2つの時代・場所を行き来する。
主人公・志摩が生きる、ソ連崩壊の翌年1992年のモスクワと、志摩が少女時代を過ごした1960~1964年の旧ソ連チェコプラハ
当時、志摩がプラハで通っていたのは在プラハソビエト学校。
各国から集まった、全部で8学年、約320人の少年少女が集う国際色豊かな学校。
その学校で、ひときわ皆の耳目を集める教師がいた。
オリガ・モリソヴナ。リトミカと呼ばれるダンス・舞踊の授業を受け持つダンス教師。
本人は50代だと言っているが実際の見た目は70代、下手したら80代では?と思われるような老婦人で、その服装やメイクははるか戦前の1920年代の様相。その見た目から、学校内でついているあだ名は「オールド・ファッション」。
しかしそんな先生のダンスの才能には目を見張るものがあった。各国のありとあらゆる舞踊を踊りこなし、一度聞いた旋律はすぐに再現できるばかりか、ダンス用にアレンジまで出来てしまう。
ソビエト学校の生徒全員が参加する学芸会で発表される出し物の中でも、オリガが指導する踊りは、完成度も人気も抜きん出ていて、地元のTV局が取材に来るほどのクオリティとなっていた。
しかし何より生徒たちを怯えさせると同時に惹きつけてやまないのは、オリガ独特の毒舌だった。
最高の賛辞を使って渾身のダメ出しをする彼女の「反語法」には、生徒たちは怯えながらも親しみを感じずには入れられないのだった。
そんなオリガと姉妹のように寄り添うもうひとりの名物教師、エレオノーラ・ミハイロブナ。
オリガとは全くタイプの異なる、まるで伯爵家の令嬢のような、19世紀の貴婦人のような佇まいのエレオノーラは、美しくパーフェクトなフランス語を話すフランス語教師。
総白髪を美しく結い上げ、年はオリガよりさらに上に思われるが、彼女はいつも少女のように可憐で、痴呆症を患い始めているようだった。
そんなふうにまるで似通ったところがなさそうなオリガとエレオノーラの二人は、なぜかぴったりと寄り添っていることが多い。
そしてある日志摩は、二人が何か深刻そうな様子でささやき交わす現場を級友と共に目撃する。
その光景が意味していたものが何だったのか、皆で考えるも答えは出ない。
更に、志摩は二人が「アルジェリア」という単語に異常に敏感に反応する事実にも気づく。
二人の関係の背後には、なにか大きな秘密がある。
その思いを忘れられずに大人になった志摩は、ソビエト崩壊をきっかけに、少女時代に出会った謎を探りに、モスクワへと飛んだのだった。


ジャンルとしては「過去の謎解き」ミステリー、と言えると思う。手札を順に集め、その限られた手がかりから過去の真相を探っていくタイプのミステリーが大好きなんですけど、その点でも本当に大当たりの一冊なのでした。
ストーリーの中で、1992年のモスクワと1960年代のチェコを何度も行ったり来たりする上、主人公たちが目にする色んな文章が本文中で多数引用されるため、「今どこにいるんだっけ!?時代はいつだっけ!?」とちょっと混乱しやすいところもあるにはありますが(引用箇所がイタリック体になってたりすれば格段に読みやすかったんでは…?と思ったんだけど、もしやkindle版のせいかな…)、とにかくぐいぐい読ませる力がものすごくある。
志摩が何かにとりつかれたように、周囲の人を巻き込みながら過去を掘り下げるその勢いに引っ張られざるを得ず、どうしたって読むことをやめられなくなります。

物心ついた頃にベルリンの壁が崩壊した世代としては、旧ソ連がどんな国家だったのか、ぱっと思い浮かべることはなかなか難しいと思うんですが、少女時代の志摩が経験した学校生活の描写は本当に生き生きとしていて、自分の中にある「社会主義国」のイメージがどんどん更新されていくような感覚がありました。
ひとつの巨大な思想を体現しようとしたその国家のあり方は、良かった・悪かったでは簡単に語りようはないことだけど、その時代、その場所で実際に生きていた人にとっては、決して息の詰まるような生きづらい環境などではなかったのだ、ということが伝わってきます。
しかし同時に、1930年代以降、スターリンによって行われていた粛清のおぞましさが読者には突きつけられます。私はこの本を読むまでは、ちゃんとは知らないことばかりだった。
途中、ラーゲリと呼ばれる強制収容所に収容された経験を持つ女性の体験記が出てくるのですが、その内容は100年経たない昔に行われていたこととは思えないようなことばかりで、本当に言葉を失います。
物語が進むに連れて徐々に明かされていく、オリガとエレオノーラの背負ってきた過去。一番最後のパズルのピースのように語られるエピソードは、とりわけ苦しいものでした。
そうして2つの時代を行き来しながら、時々もつれるようにして進んでいった物語は、一筋の光をたたえるような、静かなラストを迎えるのでした。小説としての終わり方が、本当に美しかった…。

作者の米原万里は、自身の体験をもとにしてこの小説を書いています。
扉には「オリガ・モリソヴナという教師はプラハソビエト学校に実在しましたが、この物語はすべてフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。」との断り書きがあります。
あとがきとして収録された池澤夏樹との対談では「ノンフィクションを書こうと思っていたがフィクションにせざるを得なかった」旨のことが語られているのですが、確かに読んでいると、どこまでがフィクションでどこまでがノンフィクションなのかわからなくなる酩酊感がある。その両者の境目が曖昧なところも、この作品の魅力のひとつだと思います。
ソビエト学校での出来事は、基本的に作者の体験をベースにしているので、とにかく瑞々しく、十代の少年少女の等身大の姿が浮かび上がってきます。その明るさが、読む間じゅう、歴史の負の遺産を内包する物語の重さをふっと軽くしてくれる感じがしました。
1992年を生きる志摩が、手助けをしてくれる周囲の人や旧友と一緒にひたむきに謎を解き明かそうとしていく様子は、なんというか、生命力に溢れているなと感じます。
言ってしまえば、過去の謎を解いたところで得られるものは特に無いはず。人から見れば「実にならない」と言われそうなその行為だけれど、志摩は真剣そのものだし、彼女の姿からは途方もない切実さが伝わってくる。
他の人にとってはどれほど意味のない行為でも、自分にとって大切な何かを、無我夢中で掴み取ろうとすること。そのこと自体がそもそもとてつもなく尊いことなんだと、志摩の姿はそんなことを訴えてくるようでもあります。


米原万里は2006年に亡くなっています。享年56、まだだいぶ若いうちに…とどうしても感じてしまいます。
ロシア語の同時通訳として著名だった彼女は、エッセイを多数残していますが、上梓した小説はこの一作きり。
もしまだ生きていらしたら、きっと面白い本をもっと沢山書かれていたんだろうな…と思わずにはいられない。

世界史が好きな人、歴史ミステリーが好きな人には特におすすめできる一冊です。
本当に、米原さんの他の小説も読んでみたかったな…!

(生活を)ちゃんとしてない(する気ある?)

今日もまた「できてない」シリーズです。こないだ買った本は読み途中です。タイトルが謎に五七五になってわらっています。

は~~まじで全然できてね~な!って思うことが日常的にたくさんあるんだけど、兎にも角にも私は「生活」が苦手です。仕事と趣味にはめっちゃやる気があってどっちもわりといっしょうけんめいやるのが得意なんだけどな…
生活、とざっくりいいましたが、言ってしまえばわたしはまじで家事ができないです。家事のひとつひとつはさておき、その全体を構成する能力がほぼ皆無と言って良い。謎なくらい無い。でも仕事をする上でのマルチタスクは正直なところ、超得意です。…なんなの?
お前実家でて今年で何年目なんや、と思うんですけど、あまりにも家事全般が出来ないのでさすがに落ち込みます。笑 まぁね…一人暮らし経験がないというのもでかいかな…

ちゃんとしてる、ってどういうことを指すのかな、と思うんだけど、
そうだな…たとえ雑でも毎日自炊が続けられる、とか、あ~もう今日カップラーメンでいいや、の夜ご飯を月に何回もやらない、とか、
もらった年賀状を適切に返すとか、友達の誕生日をLINEで遅れずにお祝いする、とか、…なんか、そういうやつです。こう、人としてちゃんと…っていう…(書きながら落ち込んできた様子)
…は~、びっくりするくらい全部できてねー!涙

こんな体たらくなのにもかかわらず、周囲からは基本的に「ちゃんとしてそう」とめちゃくちゃ言われるんですよね。見た目詐欺だと思います。真面目そう、A型っぽいとしか言われない人生です。
でも実のところ、一切実態が伴ってないので、本当に残念だな~!って感じなんだよな。
曲がりなりにも夫という家族と一緒に暮らしているわけで、完全に自由気まま、というわけでもないのに、私よ、まじでこれでいいのか!?と思うんですが…ねえ…料理…料理ってどうやったら続けられるの!?まず実現する上でどう考えても構成要素が多すぎない!?

  • 献立を考える
  • 材料を揃える
  • 作る
  • 片付ける

…この仕組みをエンドレスで回さないといけないんだよね!?まじで!?毎日やってる人、本当にすごくない!!??

1点目と2点目のハードルが高すぎてつらい。献立思いつかないよね!そんで「昨日はコレを作ろうと思ってたけど今日は別に食べたくないな」問題あるよね?!しょっちゅうなる!今日はどうしてもラーメンが食べたいんだよ!!なりません!?
買い物もね…帰宅がそんなに早くないのでそれからスーパーに寄って買って帰るのかなりつらい。
週末は…基本家をあけるので…現場があるおたくは…忙しいので…ってなっている。
ほらー!やらない理由を並べ立てる方が早い!!!
別に私が作らずとも?という話もありますが、旦那さんは私よりまともに家事をやっているくらいなので…その上で料理は苦手だそうなので、そこは私から別に求めるつもりないかなという感じです。

って、ここまで書いていて思うんですけど、多分私は「やりたいことしかやりたくない」傾向がものすごく強い人間なんだなと思う。いつからこうなった。ずっとか!?
ほんと、その代わりに「やりたいことを全力でやりきる」力は異常に強いとは思います…。
仕事もやりたくない仕事は本当にやりたくないしな(やるけど)。
趣味はやりたいことでしかないから全力でぶつかるんだけど。

家で定期的に「わたしは家事がちゃんとできない」って落ち込んで見せるんですが、最近は旦那さんに「ちゃんとしなければならないと思い込んでるだけで、実際のところ本心は別にちゃんとしたくないんじゃないの?」って言われて、目からうろこでした。まじでそうかもしれん、と思った。長年しみついた優等生気質が、ちゃんとしたいと思わせているだけなのかも!?と。…いや、でもちゃんとすることをはなから諦めてる伴侶ってどうなんですか!?とも思いました。笑


料理のはなしにフォーカスしたのは、やはり健康面が気になるからですね。そういう年齢だよ。とほほ。
なので、解決策としては「なんとかして自ずと料理をやりたくなる方向に自分を仕向ける」しかないんだけど。
おかずくんを見てて「肉じゃが作ろうかな」とは思いました。作ってないけど。いや、そこは作れや。
www.tvk-yokohama.com
ところで肉じゃがって牛肉のやつを「肉じゃが」って言うんじゃないんですか!?地域によってはむしろ豚が当たり前なの!?というのが密かな驚きでした。そうなん!?
おかずくん、画面にうつっている9割が推しなので(さすが主演)、みてるあいだじゅう幸福度が高まりすぎて息ができずに一話目しにそうになりました。CMでかろうじて息継ぎ。ほんとうに可愛い。びっくりした。
撮影時期、忙しすぎてちょっと痩せ気味なのが心配で「あ~ご飯食べて~!」ってなるけど、なんと!劇中でもりもりおいしそうにご飯を食べてくれるという、とても精神衛生上良いドラマです。あ~~~かわいい!!!!!
「観劇以外」だっつうのに。結局推しの話しちゃいがち!ほら!好きなことにしかやっぱり興味がない!笑


はぁ、推しが料理をしてたら私もやる気が出るかも…って、だからドラマで作ってるやん!!!なりました。。作るか。。
料理をすること自体は全然きらいじゃないんだ、むしろ好きなんだ…。実家でかつてしょっちゅう5人分の夕飯を作っていたので鍛えてはいるんだ…しかしそれが仇となって基本ポーションが多くなってしまうという弱みも兼ね備えているっ…!
せめて今週はご飯くらい炊こうかな(そこからなの!?)

本を読みたい(読めてない)

ここ数年、本当に本が読めていない。危機感を持つくらい読めてない。
その理由は明らかで、「趣味が忙しい」から。舞台を見るって周辺の諸々を含めてなんかしらんけどめっちゃ時間を必要とする趣味なんですよ!
…あれ、結局観劇の話しそうだな。観劇以外じゃなかったんか?まぁいいや。


わたしが唐突に舞台おたくになったのは2013年の春先くらいの出来事なんですけど、それ以前は本当に目立った趣味がなくて、長らく履歴書の趣味の欄に「読書」としか書けない人生を送ってました。
一番本を読んでいた時期は読書日記をつけてたんですが(とはいってもたしか1年しか続かなかったんだけど)、そのときは年間に120冊くらいは読んでいたはず。社会人2年目くらいだったと思う。
それが今や、月に1冊読んでるかな?っていう状況で、さすがにほんと、危機感を覚えています。

今全く本を読んでない理由をいくつか考えたんだけど、

  • 単純に時間が足りない(推しを追うのにまじで忙しい)
  • フィクションを摂取したい欲が観劇でめっちゃ満たされている
  • 本を買ってももう本棚置く場所もないから買うのに躊躇する、けど電子書籍に移行できない

この3点が大きそうです。1-2点目は観劇趣味を持ってる限り、変わることがなさそう…笑
2点目について補足すると私が読む本、基本小説オンリーです。読んだとしてあとはエッセイ。実学?っぽい本を本当に読まない…!なのでフィクションを摂取する対象として本を捉えているところあります。
3点目はほんと悩ましいんですよね…!電子書籍、読めたらいいんだけど、明らかに頭痛が誘発される体質っぽくて困ってる。Kindleも持ってるんですが、通勤中にKindleで本読んでた時期めちゃくちゃ頭痛に悩まされたので因果関係がわりと明白そう。。
あと視覚的に「のこり何ページくらい」が分からないのが苦手で!「あと何分で読み終わります」もわりとバグるしな…。まだこれくらいあるだろう、と思って読み進めてた小説が唐突に終わった時の気持ちの行き所のなさよ…!

と、本が読めない理由をいろいろ並べ立ててしまいましたが…ちゃんとした「文章」のインプットを怠ると、アウトプットが細ることは目に見えているので、2019年は意識して本を読むようにしようと思います!ことしの目標のひとつ。本を読む!

その一環として、いわゆる「名作」で読めてないものにどんどんチャレンジしていけたらな、と思っています。
私まじで日本近代文学を通ってきてなさすぎるんですよ。いちお文学部なんだけどな…。うちの大学、近代文学扱ってる先生いなかったからな…。
まともに読んだことのある昭和の文豪が誰一人として思いつかないんですよね。。お恥ずかしい。
なので、今年はとりあえず名作を読んでいこう!と思い、さっき仕事帰りに本屋に行きました。

そして、なんか気づいたら全然違う本を買ってました。(なんなんだよ)

奇譚蒐集録: 弔い少女の鎮魂歌 (新潮文庫nex)

奇譚蒐集録: 弔い少女の鎮魂歌 (新潮文庫nex)

理由:恩田陸が帯を書いていた&日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作、ってところ。
わ~い確実に好きなやつ!という予感がするので、とりあえず2019年の1冊目はこれにしようと思います。いきなり初っ端から易きに流れた感が炸裂していて先行き不安ですね。
でも近代文学の名作を読む、も諦めないでやるぞ!?今一番読みたいのは「細雪」だ!!!
なんていうのかな、今同じように書け、って仮に現代人がいわれても使いこなせない日本語の流れや空気って、絶対にあるよねと思っていて。近代文学には近代文学にしかない色使いを感じる…そういう文化的資産みたいなもの、自分から取りに行かないとやっぱダメだなと年をとって思うようになりました。
なんでそんなにインプットにこだわるの?とは思うんですけど、やっぱり定期的に質のよいものをなるべくたくさん入れていかないと、「エンタメを味わう基礎力」みたいなものがどんどん目減りしていく気がするんですよね。
なんだろうな、受け取る力、解釈する力、そのへんにインプットの質が直結する気がしている。
そしてそういう意味でも、観劇ってすごく自分の嗜好性にあってるんだな、とは思います。全身で五感をフル活用して浴びるようにフィクションを摂取できるって、観劇でしか叶えられないことだと思うんですよ。想像力もめちゃくちゃ鍛えられるし。あの一つの別世界に入り込む没入感がほんとたまらないんだよな。なんかもう、観劇isライフワークと呼んでもよさそう…。

というわけで、結局観劇に話が戻ってしまいました。怖いな。笑
趣味として向いてるっぽいからもう仕方ないですね!
本に関しては読めたらここに記録も残していけたらいいなとおもうのでがんばってみます。
でも1ヶ月に1作の名作を読んだとて、1年で12作品しか消化できないんだなぁ…!時間足りないな~!!?(※そして話は振り出しに戻るのだった)

サブブログを作りました

こんばんは、あなぐまです。
ここ半年くらい、ぼんやりと「もっと文章がうまくなりたいな~」と思っていました。で、さしあたって自分の文章の弱点は何かな~と考えてみた。

普段更新しているメインブログは下記なんですが、
anagmaram.hatenablog.com
このブログの成り立ちは「とにかく未来の自分のために、観た舞台に関する記録を克明に残すこと」なんですね。需要はズバリ、未来の自分。
なんでか自分でもよくわからないんですが、観劇の後に感じたこと、観たことの全てを絶対に忘れたくない、という思いがマジで強い。どうして人間は全てを記憶しておけないんだろう…って常に本気で思っている。この「忘れたくなさ」の度合いが、たぶん私は尋常じゃなく強いようで、ある種強迫観念に近いくらいのものがあるっぽいなと自覚しています。

しかしそうなると、

  • ばかみたいに長い文章しか書けない(1エントリーあたり、基本が1万字になっちゃう)
  • 余計だろうなと思うことも削れない、書きたいだけ書いてしまう

…という状況がありました。

観劇まわりのエントリーは、その性質上、伝えたい情報量がどうしても多くなっちゃうんですよ。いや私だけかもしれないけど。
そこまでしなくてもいいのかなとは思いつつ、私は「このシーンが好きだった、こういう印象を持った!」と書く際に、前提条件となる「このシーン」についてを、なるべくフラットに、読む人に可能な限り内容を伝えられるように、丁寧に記述したくなっちゃう癖がある。書いてて一番たいへんなのも、多分ここ。でもそうなると、文字数が異常に膨れ上がる結果に…!
まぁ、でも自分のブログなんだし、結局は好きにかけばいいんちゃう?ってのが一番にあります。特に趣味の話ってなると、ちょっといきすぎたくらいに過剰な何か(ex.思い入れ)を発散してる文章のほうが、読んでて私は好き。
なので、メインブログは今のままでいいか、という結論に達しました。
何よりそのほうが書いてて楽しいし。

いやでもほんと、ようあんな長文を皆さん毎回読んでくださるよな!?とありがたい気持ちでいっぱいなんですよ。いつもありがとうございます!ってここに書いても意味ないな!
家族に見せると、毎回内容云々のまえに、ファーストビューで「なっがww」って言われるところから始まるので…うん…ソウダネ…長いよね…ってなる。笑 でもわかってても、短く書けないんじゃ~!!!

まぁそんな感じで、メインブログのほうは今後もとくに変わらないと思うんですけど、もし文章をうまくなりたいなと思うなら、多分この方向性だけで書いてても上達レベルは頭打ちになるだろうな~と感じるようになりました。
なので、訓練を兼ねて”観劇以外”の話を書く場所として作ったのがこのブログです。2019年は短い文章も書けるようになりたいなと、割と本気で思っている。

そしてタイトルは、恩田陸さんの「小説以外」へのオマージュです。

小説以外(新潮文庫)

小説以外(新潮文庫)

小説じゃない文章=小説以外、っていうくくりで集められたこのエッセイ集、むかしから大好きで、定期的に読み返しています。恩田さんって多作な作家さんの割に、意外にエッセイ集がないんだよね。あとは旅行記しかないはず…また何か出るといいな~。

なんかしらんけど、文章書くの、ほんと好きなんですよね。(サブブログまで作るんだからまあそりゃそうでしょうね)
そして訓練を兼ねて、とか言ってるけど、実際のところ、単にブログというフォーマットが好きすぎるだけでもある。だって、楽しいんだもん…!「雑記」っていうカテゴリーをつけてみたけどなんか懐かしくてニヤニヤしてきた。何を隠そう、インターネットにおけるブログ全盛期に青春を過ごした人間なので…みんながmixiやってるときにかたくなにブログだけを書き続けていました。しかしはてなダイアリーは使ったことがない。当時一世を風靡していたfc2にお世話になっていたよ…。

長くなりすぎないように、こっちでは目安3000字縛りでこまめに書いてみようと思います!でも嘘かも。5000字くらいは書く気がしてきた。いやお前、短く書く訓練、やる気あんのか。

Twitter連携はこっちでもやりますが、刀ミュそのほかの舞台まわりじゃない話には別に興味ないわ~!って方も、ご覧のとおり「観劇以外」ってタイトルなので、スルーしやすいかと思います!笑

ひまつぶし程度におつきあいいただけたら嬉しいです。お題とかもこっちでやってみよっと。