観劇以外

もはやタイトル詐欺のあなぐま(anagmaram)別館。本館→https://anagmaram.hatenablog.com/

「見えないものは、ないのと同じ」って、昔みうらじゅんさんに雑誌のコラムで教わった話

さっき思い出した話、さらっとツイッターに書こうかと思ったんだけど、これ過去のわたしにとって超だいじな出来事だったので、せっかくだからこっちに書いておこ!(妖怪ブログ書き魔)

実年齢がバレるのでいつの話か詳細は書かないんですけど、X年前の出来事です。
とある女性ファッション誌…たぶんSteady.だったと思うんだけど、正確にはどれだったのかがもう思い出せないんですが…とにかくその雑誌の中に、よくある人生相談のコラムが載ってたんです。読者が投稿した各種お悩みに、著名人が答えてくれるというスタイルのやつ。そしてその回答者は、みうらじゅんさんでした。

そのコーナー、毎月なんとなくパラ読みしてたんですが、ある号で、とても衝撃的な回答に出会ったんです。

その月の質問者は20代半ばのOLで、いわゆる「SNS疲れ」について相談している投稿でした。
「友人のFacebookを見ていると、毎日みんな充実しているように見えてしまって焦る。自分も周りに見劣りしないようにと思ってカフェにでかけたり美術館に行ってみたりして、その内容を投稿するけど、さほど楽しくもないし、何のためにやっているのかわからなくなる。それなのにみんなの投稿を見ているとキラキラしていて、すごく辛い。どうしたらいいでしょうか。」
…みたいな内容だったと思います。


それに対するみうらじゅんさんの回答が超シンプルで、
「見たくないなら、見なければいいんです」だったんですよね。
「見えないものは、ないのと同じです。だから見なければいい」って。
…もちろん他にも文章は続いてたんだけど、この言葉があまりにも衝撃的だったので、それ以外の部分は記憶から抜け落ちてしまってるんですが。笑


これを見た時、当時の私はまじで目からウロコがおちました。
「そうか!!??見なきゃいいんだ!!??」ってひっくり返りそうになりました。
見えないものはないのと同じ。でもこれ、ほんとうにそのとおりだなと思った。

この時のわたし、まだめちゃくちゃ「若い」と呼んで差し支えのない年齢だったんですが、その時どうしても、まぁ、ゆってしまえばちょっと苦手な友人がいまして…そういうこともあるよね。
その理由がまたわたしは昔から変わらないな~と思うんだけど、彼女本人が、というより、彼女が書くテキストがどうも苦手だったんですよ。笑
彼女はブログをやっていました。私は彼女の書く文章が苦手だな、と思っているにもかかわらず、ブログが更新されると、必ず見に行ってしまう、そして謎にダメージを受ける…ということをひとりで繰り返していて。
見たくないなら見なきゃいいのに、わざわざ見に行って疲れる、っていうのをやってしまってる時期があったんですよね。


そんな時に出会った一言だったので、かなりインパクトが大きかった。
そりゃ、見なきゃいいっていうのはわかってはいるけど、そういうふうに正面から言われると逆に新鮮というか、や、やってみようかな!?みたいな気持ちになるっていうか。

それで、そのみうらじゅんさんの教えに従い、しばらく悩んだんだけど、思い切ってその子のブログをブラウザのお気に入りから、えいやっと削除してみたんです。見に行きたくても、見に行けないように。存在自体を自分の手元から無いことにしてみた。


…そしたらね、びっくりするくらい、めっちゃくちゃ楽になった。
確かに、見えない状態になってしまえば、自分にとってはないのと同じ状況になる、っていうのは、本当にそのとおりだった。だって、見えない=意識にのぼらなくなる、ということだから。
「あ、そうか、合わないなと思ったら、そこに対して文句や愚痴を言うんじゃなくて、自分から距離を取ればいいんだ…!」って、そのとき心の底から思ったんです。


自分でみたいもの、好きなものを、主体的に選び取っていくことが、自分にとっての快適性を向上させる鍵なんだなって、この時に身をもって学んだ気がします。

どうしても合わない人は、この世には存在する。努力してどうこうするもんじゃなくて、合わないときはもう、事実として合わないんだよ、っていうことも、合わせて学んだ。
その子のブログを見ないという決断をすることが、ある意味友情への裏切りになるような気がして躊躇する部分もあったんだけど、嘘をついてまで無理に付き合う必要があるかと言われると…そうでもないよな、と思って。


彼女はわたしのことをどう思ってたのかなぁ。今でもわからない。高校時代の友人だったんですけどね。元気にしてるだろうか。してるだろうな。
そしてわたしが彼女(の文章)を苦手だった理由も、今思えば「好きなものへのスタンスの違い」と表現できそうなやつだったから…ある意味めちゃくちゃ一貫性があるやんけ自分…ってなって、そこにはちょっと笑ってしまいます。
わたしは見てのとおり、好きなものには全身で喜びを表現しつつ五体投地したいタイプなので、詳しくは書かないですけど、そうじゃないちょ~っと違うタイプのスタンスで来られると「ンガァ~~!!!」ってなって、ものすごいストレスを抱えてしまうことに、なるんだよねぇ…。
そこはもう致し方ないよね。だってスタンスが、違うのだ。


そしてこの話のミソなんですが、雑誌にこの質問と回答が載った当時、SNS全盛期というにはまだまだ、だいぶ早い時期だったってことです。(※歳がバレるので詳細な時期は伏せますが)
SNS疲れ」っていう単語が出てきたりするよりも、全然前なの。だからこそ、さすが、人生の先輩の知恵ってまじですげえ…と思った出来事として印象に残っているのだった。


もちろんこれ、オタクのあれやこれやにもめっちゃ適用可能な話ですが、オタク事関係なく、ほんとなんにでもおんなじことが言えるかなと思う。
苦手なものは無理に見なくてもいい、そこで見ないという選択も、自分の力でできるということを忘れずにいるだけで、多分ちょっと楽になる瞬間は沢山ある。

わたしはこの回答に出会った頃くらいから「苦手なものを否定するのじゃなくて、そこからはうまく距離を取りつつ、自分にとっての好きを大事にしよう」みたいなメンタリティが、明確に育ち始めたような気がします。

…まさかみうらじゅんさんも、質問者本人ではない一読者のことを、ここまで衝撃的に救っていたとは思ってないだろう。笑
ほんと、なにがきっかけで楽になったりするか、人生わからないよね~って思いました。

だからね、ほんと、見たくないものは無理して見ないほうがいいよ!笑
自分が見たいもの好きなものに、どんどん時間使って楽しく生きてこー!