祈るように
なにもできないし言えない、と思うときに、何か書かずにいられない矛盾はなんなのだろう。
文章を書くことは、わたしにとってはたぶん気持ちを逃す手段のひとつになっていて、どうしようもなくてなにもできない、という時に、なんだか逆説的にも思えるけれど、そのどうしようもない事実と自分とを、一度冷静に分離してみようと試みる行為の一つなのかもしれない。
本当に、ままならないなぁ。ただただしんどくて、当たり前なんだけどまじでつらいしびっくりした。昨日はさすがにたくさん泣いた。泣いてどうするんだという話だし、事実というか統計的にというか、持ち合わせる条件に照らせば、おそらくはきっと大事には至っていないのだと思う(思いたい)。自分でもそうわかってはいるんだけど、やっぱりしんどい。まぁ、そりゃあそうだよね…
今は心配しながら、ただ静かに遠くから思うことしかできない。心を落ち着けて、待っているほかない。いつだってそうではあるけど、これほど無力かと思うことも、なかなかなかった。
わたしが元気をなくしていても仕方ないし、何度も考えてきたことだけど、できるのは己の健康を維持することだけだから、しゃんとしていなければなと思う。そういうふうに言い聞かせて、大丈夫であるように調節できる範囲でまだ自分をある程度コントロールできるなら、今はその方が良いように思うから。
言葉は誰かを救えることもあって、だけど言葉が全てを救えると思うのは間違いであり傲慢でしかなく、では一体なんのために、なにを大切にしようと腐心しているのだろうと思うと、ただ呆然と立ち尽くしてしまう感覚になる。
守れるものがあるならひとつでも多くのなにかを守りたい。なるべくたくさんの人に傷つかないでいてほしくて、そう思うとき、本当になにもできない。
それでも、たとえそれが事実でも、まだその先を見ようとする気持ちから、なにかが生まれる瞬間があるのかもしれないと祈ってきたのが、人の営みなんじゃないかとさえ、今日は思った。
冬の抜けるような空の青さ、ふとふれた鮮やかなメロディ、遠くから聞こえる子どもの笑い声、ぎゅっと抱きしめたぬいぐるみのやわらかさ、日に干したあとのおふとんの感触。都会の街の夜の輝き、車窓から一瞬見えた目に染みるような緑、お気に入りのヒールが立てる小気味良い足音。
些細であたたかで、その人にとって大切なものたちが、寄り添っていてくれますように。
Please take care of yourself.