観劇以外

もはやタイトル詐欺のあなぐま(anagmaram)別館。本館→https://anagmaram.hatenablog.com/

自分の消費速度を下げる

わたしはTwitterが本当に好きで、どう考えてもツイ廃なんだけど、だからこそ適切な距離っているよね、という話。


わたしにとってのTwitterは、オタ活に必要な情報収集ツールとしてが半分、言語化しないと死ぬ欲をお手軽に満たしてくれる物書きツールとしてが半分というところ。
機能は全く異なるんだけどどっちもオタクとして生きていく上ではものすごく重要で、Twitterが明日からサービスやめますって言ったら本気でものすごく困る。快適になるなら課金も全くやぶさかでない長年のヘビーユーザーです。


そんな大好きなTwitterだけど、当たり前に「疲れ」の元になることはある。
あまりに多い情報の渦に巻き込まれて息ができない感覚になったり、あとはどうしても他人と自分を比べてしまうきっかけになったり。

わたしは全然達観もできていないし、心の度量の狭い人間な自覚がある。
なので普段は他人と自分を比べてなるべく落ち込まないようにするべく、「必要以上に他人のツイートを見ない」というたいへん消極的な逃げの戦法をとっている。(※他人と自分を全く比較しない、もしくは比較しても落ち込まないほどの「強靭な精神力」を身につける、という方法は、とっくの昔に諦めている。)

実際その効果は大きく、必要以上にあれこれ見ないようにすることによって精神衛生を良好に保てている側面が割とあるのだけど、
何かのきっかけで他人と自分を些細なことで突然ガッツリと比較してしまい、結果無駄に落ち込むことも、やっぱりゼロにはならない。
普段は全然気にならないのに一旦謎にスイッチ入っちゃうともうダメ、みたいな。


あとはまた違ったベクトルとして、自分のツイートが他人の目にどのように映るのかが、ものすごく気になってしまうタイミングも定期的にやってくる。
わたしのアカウントは一般的にどういうパーソナリティーとして見られているんだろう?という疑問。
「この発言はどう受け取られるのかな、たぶんこう思われる気がするけど、でもそれって、違うんだよな……」みたいな細かい棘のような気掛かりが、無数に生まれてしまう瞬間も稀に訪れる(※正直なところ、その理由は単に「疲れている」ってだけのときが大変多いのですが)。


そんな時は、数日メインアカウントからいなくなるようにしてみた。
ログアウトして、通知も見ないしそもそもTLを一切読めない状態にする。ツイートもできなくする。
そうして強制的に自分をTwitterから引き剥がすことをお手軽デジタルデトックス的にやっているんだけど、これが結構いい感じです。
数日情報追わなくたって、別に死にゃあしない。
いっそのこと積極的に取りこぼしてやれ、くらいな感覚になってあえて全部無視していると、変な言い方だけど「情報を取りこぼしても別に普通に生きてるよな、自分」みたいなところに妙な自信がついて、心が落ち着く。

もともと全てを追うのは無理なことは理解していて、自分にとってのよりよいペースやテンポを紡ぎ出すことに熱心なはずではあるのだけど、それがいつのまにかうまくいかなくなることって、どうしてもあるんですよねー。

なんでしょうか、やっぱり誰もが「SNS上で見せたい己」の見本市をやっている状態、あまりにもそればかりに慣れすぎると、現実との擦り合わせがうまくいかない瞬間が出てくるのかなぁ。

とくにわたしの場合、言語化しないと死ぬタイプのオタクゆえ、
受け取る側としてだけでなく、発信する側としての自分についてもうまく出力調整することが、たまには必要なのかなぁと感じます。
SNS上における自分の消費速度は、適切にコントロールしていたいというか。
期待されることを言おうとしてないか、過剰な演出が入っちゃってないか。
なんか楽しく脳直ツイートできてないな!肩凝ってんな!と思う時は、いったん潔くログアウトしたら良さそうなので、これからも多分定期的にそうすると思う。
(という話を書いてTwitterにURLを投げる、このツイ廃人ぶりといったら。)

とりあえずここ数日は、「スケジュールの詰め込みすぎ」という完全なる自己都合+シンプルに夏バテでだいぶ疲れてたのですが、
回復してきたのでまた好きに気ままにオタクをやろうと思います。