観劇以外

もはやタイトル詐欺のあなぐま(anagmaram)別館。本館→https://anagmaram.hatenablog.com/

遣うなら、花束として

どうせ言葉を遣うなら、その言葉たちはなるべく花束みたいであってほしい。
見ていてふわっと心があったかくなるような、
思わず目元が綻ぶような。

その内に光を抱く、真っ白で明るいもの。

どこかに/誰かに届くかどうかを目的にする前に、
ただその言葉そのものが、花束みたいであってほしい。
勿論全てがそうなるわけではなくて、ここぞのタイミングでそのように遣えたら、と思う。

そういう遣い方ができない状況になってきたなと感じたら、たぶんわたしはその場で喋る人格としてのアカウントを閉じるだろう。
Twitterのいわゆる本垢を開設して、この夏が来るともう丸7年になる。
それだけ時間が経てばまぁめちゃくちゃ変化も多いもので、見極めどきなのかもしれないなと感じることが多くなってきて、動向をちょっと迷うようになった。
自分がこのインターネット上の人格で喋ることの是非、みたいな。「この特定の条件下に於いては、もうむしろいない方がいいんじゃね?」みたいな。*1

とはいえ、それ以前にプラットフォームとしてのTwitterが死ぬのかもしれないけど。。
そもそもブログを書いてそのURLをTwitter上でシェアする、という動き自体が成立しなくなるかもだもんなー。なんてこった。

なんにせよ、いちオタクとして自分が楽しく在り続けることだけは絶対やめないつもりで、
そのために自分にとって本質的に必要なものが何なのかを考えているところです。

*1:いっそのこと一度全部書いてしまったら?とも思うんですが、どうしてもそれを自分に許すことができない…お察しください案件(と言いつつ今ここで言いたいことが伝わるケースの方がレアそう)