vanish!
きっかけの具体的なエピソードは忘れたし、中学生の頃か高校生の頃かも思い出せないけど、vanishという英単語が家庭内で流行ったことがあった。
家庭内、って書いたけどたぶん正確には母と私の間で。
ここにあるはずのものが見つからない、どうして?と誰かがなにかを探している場面に出くわしたとき、横から茶々を入れるようにすこし甲高めの声で「vanish!」と言うのである。(※イメージは教育テレビでやっていたミッフィーのアニメの声で…どういうこと?)
聞いてる方はそれだけで何が面白いんだかさっぱりわからないと思うのだが、本人たちにはなぜだか面白かったのだ。
あくまで他人事っぽい態度というか、勝手に消えて無くなるはずのないものに対して「vanish!」と言う、ある種の無責任さみたいなものが面白かった。そもそも、ものが見つからない原因である「散らかったリビング」を創出している諸悪の根源の過半を占める存在こそが私だったので、自分のふるまいは棚に上げて、他人事ぶっているところにおかしみが生まれる、というような仕組み。
私がおそらく英単語を覚えようとしたタイミングでふと思いついて言ったのを母が面白がって、しばらくのあいだ定番になっていた。今でも言ったら家庭内ギャグのひとつとして通じる気がする。今度やってみようかな。
この「跡形もなく消えて無くなる」というのがわりと好きで、たぶん私にはそこそこ強めのリセット願望がある。
社会人になって今の会社が4社目なのだけど、転職する時に独特の「今まで必死に覚えてきたあれもこれも、ぜーーーんぶ!ぜんぶ忘れていい!」というあの爽快感は、ちょっと病みつきになる。
定期テストが終わったあとの解放感のスペシャル版って感じで、転職によって経験するたびに心底せいせいした。
別に何もかもが嫌になって辞めたわけではなかったけど、あほらしいな〜と感じるような組織内の仕組みも、無駄の権化やろ!と思うような馬鹿げた業務手順も、気を遣ったり遣わなかったりしてきた人間関係もなにもかも、全部!忘れてしまっていい、というのはものすごく魅力的だ。その分自分の脳内の記憶領域をガバッと空けていいのだから。
この自由の強烈さは本当にクラクラするほど眩しくて、特に前職を辞めたあとのそれは、かなりビビットだった。なんせ、不可能な覚えゲーかよ!と叫びたくなるほどに摩訶不思議で複雑怪奇に発達した手続きの中で、日々どうにか息をしている(割に給料の安い)業務内容だったので。
人間関係に対しても割とそんなところがある。本当に特別親しい人をのぞいて、ある期間・ある場所で繋がった人間関係をうまく維持することが昔からできなくて、そこに自分がいた痕跡ごと消して次に行ってしまうような癖があるし、なんだかその場から自分の姿が消えたことに妙にホッとしたりしてしまう。なんでそんな消えたがる?忍びの者か?
でもそんなことを言う割に、辞めた後に前の職場の人と飲みに行く機会は過去全ての職場で複数回設けてもらったので、たぶん周りの人たちが優しいのだと思います(ここまで書いてすこし落ち込みました)。
別に何に気兼ねがあるわけでも無いのだけど、Twitterになにかを書こうとしたとき、「これ別に大勢の人に見られる場所で言う必要、全く無いな…?」みたいな気持ちがふつふつと湧く瞬間が増えて、インターネット上の人格を消してしまいたい衝動に駆られる瞬間が、ここ最近で何度かあった。
と言いつつ、全く同じ行為は過去に一度経験済みなので(数年動かしていた趣味のアカウントをいきなり消してブログも非公開にしたことがある)、実行したらどうなるのかも想像はつくのでもうそれだけで満足しているところがあるんだけど、このリセット願望は一体なんなんだろうな、と思う。
今あるアカウントはまず消さないし、仕事を辞める予定も全く無いのですけど。
「vanish!」というひとことと共に、今あるものを綺麗さっぱり消し去ってしまう夢想は、やっぱりなんともいえずに蠱惑的。
…と、つらつらと書いてみたけど、今の私のこの精神状態はやっぱり、言葉にならない閉塞感に長いこと取り巻かれているからだろうなー、と思う。
物理的には比較的、いやだいぶ自由に身動き取れている方でも、がんじがらめになって何かしらの不安の影を感じ続けている気持ちの側面においては、かなり影響はあるのだろうな。
コロナ禍、まじでいい加減vanishしてくれんかな。